映画熱が、少し冷めている。
昨年、『ラ・ラ・ランド』に感動し過ぎて、その後、何を観ても、あれ以上の作品に出会えないせいかもしれない。
そんな中、あまり興味のなかった『カメラを止めるな!』を人に勧められて、試しに観てみたら、予想に反して面白かった。たまには人のお勧めも観てみるもんだと開眼。
その影響で、あまり興味のなかった『ボヘミアン・ラプソディ』を仕事関連の方に勧められ、『アリー/スター誕生』はマツコ・デラックスに(CMで)勧められて、どれどれと観に行くことにした。
どちらも、とても良い映画だったけど、『ラ・ラ・ランド』の呪縛は強烈なようで、大感動まではならず。
でも一方で、自分にとって大切な気づきがあった。
2つの映画から、共通した1つのメッセージを受け取った。
どちらの映画も、それぞれの登場人物が「幼少期から満たされない自分」を解決できないまま生きている、という共通点がある。
どちらも家庭環境が影響していたため、「親のせい?」と思ったところで、昔々、父とした会話を思い出し・・・
私の母には姉が2人いて、どちらも「私たちは親に愛されなかった」と、口癖のように言い続けている人たちだった。
(私の母は末っ子で、ベタベタに可愛がられていたらしい。)
私はまだ学生で、父との雑談の中で「あれは、やっぱり親のせいなのでは」と意見を述べた。
父は少し強めの口調で、こう言った。
「10代や20代の若者ならともかく、成人して親になって、50歳にもなろうという人間が、人生を親のせいにしているなんて、おかしいんだよ。たとえ親が悪かったとしても、その後の人生で、自分で解決していくのが大人だ。」
まだ、親にも大人にも反抗心があった私。いやいや、やっぱり親や環境のせいってことはあるでしょう、昭和の男で体育教師だからね、まったくもう・・・と腑に落ちず、そのせいか、この会話のことは、妙に印象に残っている。
今回2つの映画を観て、あぁ、父の言う通りなんだなぁと、30年ぶりぐらいに頷いた。
おそらく、アドラー心理学に触れた影響もあると思う。
「壁の原因は過去にあるのではなく、未来の目的にある。」
「実は本人に、前に進みたくない理由があって、原因を過去のせいにしている。」
このことを、2つの映画で実感した。
満たされない心を、ステータスや、お金や、楽しいパーティーや、お酒、ドラッグ・・・などなどで埋めようとしても、埋まらない。
自分が本当に欲しているものと向き合って、それをきちんと与えてあげなければ、心からの幸せは感じられない。
そんなこと、言葉ではわかっているつもりだったけど、実体験に近い形で深く感じ入った。
映画って、感動するだけじゃなく、そんな効用もあるんだなぁと再認識。
引き続き色々な映画を観たい。そして今年はもっと本も読もうと思う。
1回の限られた人生の中で、よりたくさんのことを感じながら生きていきたい。