父方の祖父は、なかなか面白い履歴がある人で、でも、みな詳細を語らない。なので、話が大雑把なんだけど、大枠、以下のような人であったらしい。
祖父の前に、その父親(曾祖父)の話をすれば、かなり「はっちゃけた人」だったようである。
「地元の川を仲間と泳いで渡って、となり町に飲みに出かけていた」とか、「飲んだくれた朝、孫が教師をしている女子高の前の路上で寝ていて孫が学校に呼び出される」とか「アル中で朝から呑まないと手がふるえて仕事にならない」とか、酒ネタに尽きない・・・。
そんな人の息子だったから、祖父は真面目にサラリーマンになったんだろうか?
秋田と言えば、秋田杉である。木材の町の、木材会社に属し、日々の業務を効率化できる機械を発明したらしく、特許をとったそうである。ただし、個人ではなく会社の特許になったと聞いている。
そうであれば、大してお金持ちにはなれないはずなんだけれど、どうやら、その技術を活かして水面下で副業を始めたらしい。起業したってことなんだろうけど、サラリーマンだし、時代も時代だから、かなりコソコソやっていたんじゃないだろうか。
同時に、その技術について、海外からも講師として来て欲しい、ということになり、アジア諸国に出かけていた、とは当時の小さな田舎町じゃ、ちょっと派手な話だったようである。
私の中学の担任が、ことあるごとに「お前のお祖父さんはすごかったのに」と、私に嫌味を言っていたっけ。
そして、この後の話が、おそらく、親戚が詳細を話さない理由なのかなぁ、と思っているんだけれど、
それらで資産を増やし、それを人に貸していたらしい。どんな人に、どんな風に貸していたのかは聞いていない。
ただ、祖父の遺品整理で、碁盤や楽器など不思議な物品があったのは、借金のカタに引き受けたモノだから、という話は聞いたことがある。
不動産も持っていたようで、どうやらそれらも、同じ代物のようだったらしい。
彼の子供である7人兄弟は、大学を出たり、そうでなくても自立して商売をしたり、みな立派に育った。
その学費などは、彼のサラリーマンだけの収入では、賄えなかったのではないか?と言われている。
相当なケチだったと聞く。実際、お金のある人は、ケチというか、倹約家が多いけれど。
幼い私は、祖父が病気のせいで動作が緩慢だったせいなのか、全く懐かなかったらしく、「どうしたらいいか」と祖父が周囲にこぼしたそうだ。そして誰かが「子供は食べ物だよ」とアドバイスしたらしい。
そして、たった1枚のチューインガムをもらった、その瞬間から、私は祖父が大好き!になったとは、何度も聞いた笑い話だが・・・それでいいのか、私(汗)
逆に言えば、それまで、たった1枚のガムも孫にあげない人であった、という話でもある。
根拠のない嫉妬で責めたてるほど、愛していた妻を早くに亡くし、病の後、人生の最後に再婚した女性は、遺産目当てだったと聞いている。それをきっかけに、彼の没後、子供たちは遺産相続でもめることになる。
祖父を尊敬していたからこそ、祖父の人生の締めくくり方に、まだ若かった私の父はショックを受けたようだった。
人が病気をするということ、衰えるということ、いったい何が人の幸せなのか?ということを、父は祖父の人生と、自分の人生を重ね合わせて、深く長く、感じ入り、そして考えていた様子がある。
一方、孫の私にとって、祖父の人生ストーリーは、おとぎ話のような、ワクワクする冒険物語のように聞こえる。自分にも、そんな開拓者の血が流れているのではないか、と思うと嬉しくなる。
そんなに人生、簡単じゃないよと、浅はかな自分に呆れもする。頭ではわかっている。
でも、そんな風に、浅はかにワクワクできる自分が、結構好きなのである。